32の夜。
付き合いの長い友人と話をした。
その友人は、昔からちょっと変わってる。
だけど、私なんかよりも人生経験が豊富で、ガキの頃はいつも私には見えないものを見ていた気がする。
10数年前、まだ未成年だってのに、友人は精神年齢が今の私と同じくらいだった。三十路の精神を持っていたのだ。
今はいくらか距離は縮まったが、やはり追いつけない。
そりゃそーだ。
友人は私が見たこともないことをたくさん見てきているんだから。
今日、友人と話をしていて、大人の勝手に振り回されることへの怒りを感じた。
思春期みたいだ。
盗んだバイクで走り出したくなった。
夜の校舎の窓ガラスを壊してまわりたくなった。
支配からの卒業。
そんな32の夜。
あの頃、友人は大人だった。
特効服を身につけたり鉄バット持ったり、そんなことに走ってもおかしくなかったかもしれない。
だけど、青臭い反抗期を迎えずに、黙々と確実な道へ進んだ。
鉄バットの代わりに「あきらめ」という武器を身につけたのだ。
決して悪い意味ではない。
現状を見据え、分析し、周りの状況に合わせて自分の精神を変化させる『柔軟性』という意味で、「妥協」「あきらめ」を心の中である程度うまくコントロールしていると思う。
少なくとも不器用な私にはそう見える。
生きることに打算的になったらおしまいだ。
泣いたり笑ったり、タバコを吸ったり酒を飲んだり、そしてたまにダイエットしたりしながら、みんなでワイワイと生きていきたいもんだね。










最近のコメント